体と心が自分の思い通りに動かないって感覚がある人とない人がいる。
体のことも心のことも考慮する必要のない人の言うことを真に受けててもしょうがない。
思えば私は随分と昔から体も心もコントロールできないことを実感していたのかもしれない。
体育の時間がずっと苦痛だった。言われたこと理解したこと実際にできること、全部がチグハグ。〝教えて〟くれる人たちというのは楽器に例えれば楽譜を教えてくれてるだけ。そもそも音の出し方わかんないですけど?みたいな私たちの感覚なんぞ想定してない。想定できない。
頭の中だってもっと静かになってくれればどんなに楽だろう。
急に頭の中がぐるぐるして息ができなくなってパニックになる。
でも電車の中で急にお腹痛くなるときみたいに落ち着くまで痛みに耐えてひたすらジッと我慢するしかない。
そんなのが何年も続いている。
体育の授業だっていつもジッと鐘がなるまで待つしかなかった。
この世にはどうやら体や心のことを考慮せずに行動できる人がいるらしい。
両方とも考慮しなくていい人もいるし、どちらか片一方は考慮しなきゃならない人もいる。
どちらにせよ、考慮しなくていい人は考慮しなきゃいけない人の感覚はわからない。その逆も同様。
朝起きてすぐ我が身ひとつで遠出できるような身軽さが365日続く世界で生きてみたかった。
体のスピードに合った脳の解像度で無駄に焦らずにいたい。
僕たちの目は見えすぎてずっと宗教のように絡まる。僕たちの体は繊細すぎてずっと足を引っ張ってくる。
思考も体調も能力も全部が乖離して空中に浮いている。
それがずーっと続いている。
終わらないのか。
でも多くを知る人は目が良くなる優しくなる頭が良くなる(それが生活にこれっぽちも役に立たなくても)。
どうせ老いたら体のコントロールは効かなくなって頭とのギャップは開く。心のあり様だって変わっていく。
誰に遅れていても、続けよう。
意味じゃないし形ではない。ここではきっと。
誰にも何も言われる筋合いはない。