今年はほんとに激動だったね。わたしの毎年は毎回劇的ではあるけど、今年はなかなかですね。
だって1月に全く想定できなかったことだけで12月が終わっていく年なんてなかなかないでしょ。
今年が始まったとき、わたしは共通テストすら受けてなかったのかと思うとあまりにも不思議だ。
今年のはじまりといえば、一寸先は闇とはこのことかというほどに、想像のつかない一年後が、半年後になって、3ヶ月後になって、だんだん近づいてくることが怖かった。
でもついにやってきた一寸先は闇なんかじゃなくて目が見えなくなるくらい眩しい輝きの中だった。
人が輝くとき、それは月のように何かの光を反射していて、見る人によってなにが光ってみえるのかは変わる。わたしの光もわたしがどこに立つかやわたしを見る誰かがどうやってわたしを見るかによってその輝きは変わっていく。
この考えは昔も今も変わらないし、今年だって輝きの中にいたとは思うけど、それに目をやられてしまって実は何もみえてなかったのかもしれないし、勘違いかもしれないし、自分が誰からみてどう輝いていたかなんてわからない。
そうやって常にうじうじしてもいたから楽な1年だったとはいえないけど、確かに光って見えたものはあったよねって、振り返っている。
何もかも失いながら部屋に花を飾って、何もかも満たされながら吐き気で便所に駆け込むみたいなことを繰り返しながら生きるんでしょうね。
馬鹿馬鹿しいがどれも本当なんだから仕方がない。
曇りのはずの空に浮かんだ満月も、銀色に光ってた朝焼けも、この目が見ちまったんだからこの目の中では本物だと思うわけです。自分の中にしかない本当の幸せと本当の悲しみ。これがはたからみた時くだらなく見えるもんでも間違って見えるもんでも、それと本気で付き合ってくしかないわけですね。
この付き合い方について、あなたが、俺が、誰からも馬鹿にされることがありませんように、と思ってます。
「メリークリスマス」なんていって時速36kmが出した新曲は、やっぱり今のわたしの少し先を歌っていて、これを指標にまた明日から歩き出せると思った。
ひとりよがりだろとか、勘違いだろ、とか、意味がないだろ、とかそんなんじゃない。
「これがはたからみた時くだらなく見えるもんでも間違って見えるもんでも、それと本気で付き合ってくしかない」んだよ。
見えたそれが光なら、それが間違いでもなんでも嬉しいことじゃないか。
そう思うと、この1年わたしの周りにあるものたちはすべてが鮮烈に光り輝いていたし、それはわたし自身も同じだった。そしてこの輝きは紛れもなく自分の力でたどり着いたものなんだと、そう信じていいと、1年も終わるいま確信できる。すべての光はわたしがこれまで歩いてきた道の先だから見えたものだし、見せることができた。
通えるなんて正直ぜんぜん信じてなかった大学で、綺麗な月がみえたと思ったら、それは時計台の光だった。横に本物の月がみえて「ああ月がふたつあるみたいだな」って思って写真をとった。たしかにそのときは、ニセモノの月を、光を、嘘だとは思わなくて、ただただ美しいと思っていた。
嘘だろとか勘違いだろとかそういうところの奥に本当があるんだと、身を持って知った1年だったな。
星を繋いで意味を探しては
ただいちいち信じてみてる
この心が散らばって光るなら
それでそれでいいと思った
白く何かを描く時には
黒くなったところも邪魔じゃないぜ
孤独や絶望の黒で囲んだある晴れた日
あの街頭の光を
月と見間違ったのが嬉しい
One Fine Day / 時速36km


